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ラベリングを外す

事の始めは、やはり新月

です。

8月は1日と30日の2回、新月がありました。

数年に一度、1ヶ月の間に2回新月を迎える月があるそうですが、宇宙はいつも様々な成長の種を蒔いてくれます。

特に7月の水星逆行は、コミュニケーションに於ける軋轢が発生しやすい星模様だったようで、蓋を開けた途端多くの星読みマスター達が発信していた通りヘビーな1ヶ月間で、著しくザワつきました。。

想い言葉にする

『譲る』『耐える』『慮る』

一見美徳のように思える利他的な精神が、果たして本当に美しいのか、人はそんな隠者のように、内省ばかり繰り返しては居られないものです。

アセンデッドマスターではないのですから。

そんな中、自分の中でふんわりと暖めていた『希望』が、堰を切ったように加速して、何と8月の1ヶ月間でやったこともないWebデザインに挑戦して、悪戦苦闘を経て新たにサイトを立ち上げました。

宜しかったらこちらにも是非、ご訪問下さい♡

 

これまで当サイトにご訪問頂いた皆さん、ありがとうございます。

ほぼほぼ写真の事はそっちのけ(^^;)に、思うがままのブログを書いてきましたが、今後当サイトはポートフォリオ的に運営していこうと考えております。

果たして自分は何者なのか・・・。

そんな愚問に囚われず、自分らしくあることの軌道を進めば良いのだと思います。


最近、老いが加速した母の表情が曇りがちです。

気丈で行動的で、いささかわがままが過ぎる面に兄弟揃って呆然とする日々でしたが、今はむしろ母自身が自らの『老い』に戸惑っているのかも知れません。

親である前に一人の人間だし、子供である前に一つの人格です。

既成概念に囚われない、目の前の仮面のラベリングを外せば、そこに広がる景色は、もっと色鮮やかに光り輝いて見えるのではないでしょうか♡


キャンペーン終了に際して

オープニングキャンペーン

を終了させて頂きます。

お問い合わせ下さった皆さま、本当にありがとうございました。

併せて以後しばらくの間、お知り合い、またはご紹介の方に限定したご対応とさせて頂きます。

お問い合わせ頂いて、目下ご検討中の方は、もちろん喜んで撮影させて頂きます!

ぴったりの場所で、一緒に楽しい時間を過ごしながら、写真撮りましょうね。

今月8月から自宅に戻り、ハウススタジオ兼、女性のための複合型セラピーサロンをオープンする予定でしたが、少し先延ばしになってしまいました。

そして、その時期も未定です。

今、改めてこの家を建てた時の事を、写真と共に思い返しています。

2010年12月、我が家は竣工しました。

翌年の2011年3月、あの東日本大震災に見舞われ、新築の我が家の壁は建てた途端、僅か3ヶ月でヒビだらけとなりました。

そのうち計画停電が始まり、オール電化の真っ暗な家の中でロウソクを灯しながら、簡易ガスコンロで闇鍋をした事を、今複雑な心境で回想しています。

この家は、たった一人の女性を笑顔にしたい一心で建てました。

その女性は若い頃、『和製ヘップバーン』と言われたくらい美しく、お茶一杯飲む姿も見た事が無いくらいの働き者でした。

お坊っチャマ育ちの知性派、だけど痛々しいくらいに純粋で、気の遠くなるような永い時間、ある依存症に苦しみ続けた旦那様を支え続け、無事天国にお見送りをしました。

この世でたった一人の、私の母です。

この家に沢山の女性達が訪れて、沢山の笑顔が溢れる『画』を想像しています。

そしてその『画』は私の頭の中で色鮮やかに動き出していて、空気感すらリアルに感じています。

傷付けられたり、振り回されたり、はたまた翻弄されたり・・・。

色々な出来事を経験したこの家は、私が思い描く女性のための『セラピーハウス』に益々ピッタリなスキルを、現在進行形で積んでいる最中です。

人が生きる世の中で、モラルはとても大切です。

守りましょうね。


アースエンジェルが居るとか、居ないとか

一瞬で勇気

が湧きました。

数日前、
『ただ穏やかに生きて行きたいだけなのにアクシデントばかり起きるのは何故?』
Yahooトップで呆然と、しかも本気で検索をかけました。

そんな状況にあり、気分でした。

人の迷いを瞬時にフッ飛ばして更に勇気を与える人。
そんな仕事を嬉々としてされている人。
口は悪くても心に揺るぎない『愛』を抱えてる人。


そんな人、単純に超絶カッコイイと思いました♡

守りたいモノは何ですか?


天界からなのか、社会からなのか、はたまた隣に居る誰かからなのか、人はこの疑問に対する答えを強制的に、しかも唐突に求められることがあります。

そしてその時直観的に、しかも瞬時に出した答えの中に自分自身の『守りたいモノ』が浮き彫りにされるような気がします。

それは正邪の判断ではなく、あくまでも個人の価値観でしかないモノ。

この能動的にアクションを起こす『守りたいモノ』によって、人を笑顔にさせたり、安心を与えたり、一瞬で弱者を勇者に変貌させたり、そんな魔法使いのような人をスピ界隈で『アースエンジェル』と呼んだりするのかも知れません。

メタフィジック的な概念として天使界に於いても階級が存在していて、

神の掟を実行する能天使

悪魔から国の滅亡を防ぐ権天使

神と人類の間に立つ大天使

等、役割分担されています。

中でも『大天使』
この世の悪や災いから人々を守る『ミカエル』だったり、
不安を癒し平安をもたらす『チャミュエル』だったり、
気分的に身近な存在でもあります。

♡気分的に♡

アースエンジェル

はもっとすぐ側に居て、天界から地上に使わされた『使者』とでも言いますか、役割を担って敢えて地上に舞い降りた存在と位置付けられています。

自身は疲弊したり、時に混乱しながら、それでもそこに存在することによって人々を潤し、確実に個人や社会を次元上昇させる人。

一瞬でも心が救われたと感じた時、そしてそんな出会いに恵まれたなら、その時点で既に場面展開が始まっていると思うのです。

昨日お会いした『法』に携わる専門家の先生は、明らかに慌ただしい業務の最中
「何か急いだ方が良いような気がして」
と言って、時間を割いて話を聞いて下さいました。

その一言が、とても印象的でした。


想いのままに

圧縮突破

1ヶ月位前から『シールド』とはなんぞや・・・といったことを唐突に、そして強く感じました。

敢えて積極的に掘り下げず降りて来る時を待とうと思っていたところ、予想もしなかった方向から軋轢が発生し、
「ええ〜っつ!!そこお〜っ??!!」
と若干動揺しつつ、
『盾を持つ』ということの重要性に強制的に迫られている今日この頃です。

瀬戸際で感じる想い

乗っけからかなり抽象的な表現になってしまいましたが、不都合な状況下で感じる『想い』には、自分自身の潜在意識に潜んだ『願い』『価値観』が否が応でも表面化してきます。

所謂『火事場の馬鹿力』と似た感情とも思えます。

イドエゴ

フロイトは人間の感情を本能的欲求の『イド』と自我の『エゴ』に分類し、更に社会性をコントロールして本能を抑圧する感情を『スーパーエゴ』として、その傾向性や偏りによって性格形成されるとしました。

何に於いてもバランスが整うこと、中庸を目指すことが理想だとは思いますが、習慣化された思考性は慣れ親しんだルーティーンを繰り返し、時に突発的な外部刺激によって強制的にアップデートされます。

軋轢の体感

肉体も負荷を掛ける事で鍛え上げられますが、心に生じるあまりよろこばしくない出来事も、いつか自身の栄養となって恩恵を得る日が来ると信じたいし、実際これまでもそうだったし、この軋轢のリアルな体感がいずれ社会貢献へと繋がる道標なのだろうと、今強く感じています。

共有するということ

『保身』『エゴイズム』に極端に偏った内向のエネルギーは有害なガスを発生させる、人を蝕む大気汚染のようなものだと常々感じていて、そこには強烈な拒絶反応を覚えます。

エネルギーは共に育て、成長させて、共有してこそ、そこに新しい命が生まれます。


『シールド』という『盾』は言わば叡智で、その中には『知恵』『正義』『調和』や『理解』

そんな『想い』を想いのままに抱えていたいです。


心潤す空間

心地良さの波動は空間にも伝播する

ものだと感じます。

以前からとても気になっていて、行ってみたかったお店にようやく行けました♡

とても暖かくてやさしい空間で、ちょっと大袈裟な表現をすると手招きされたような気さえしています。

時折仕事以外でどうしても撮りたいという、抑えがたい衝動に駆られて写真を撮ることがあります。

その対象は人であることが大前提なのですが、被写体のマインドとかセオリーとか、

目に見えない形而上的な事柄

に興味が湧いて急激な衝動が起きているような気がします。

あくまでも後付けの理由ですが、撮ってから「そういうことね・・♡」とか自己満足的に納得したりもしています。

写真の仕事をし始めた頃の私はアウトドア志向真っ盛りでどこに行くにも尾瀬にも、富士山の頂上にも、重い一眼のネガ機を背負って出掛けていました。

プリントすると必ず当時の師匠にご教示を仰ぎたくて「見て下さい。」とか殊勝な行動を習慣化していましたが、ある時とても率直で手厳しい師匠が「肖像写真のカメラマンが風景を撮るようになったらおしまいだ。」と一言言い放ったのを機に、人物以外の写真はほとんど撮らなくなりました。

でもね、師匠。

生命を宿したものに対しての畏敬の念とか、視覚化されない思念の具現化とか、言わんとされていたことは全身全霊で受け止めていたつもりですが、ちょっと新たな視点を発見した気がしているのです。

空間に覆う波動をコントロールする

のはやはりそこに携わり佇む人々で、その波動は調度品や料理の一つひとつにも確実に宿っていて、例えて言うと一時期民族的ムーブメントにもなった無言の『お・も・て・な・し』となり人々の心を潤すのではないかな、なんて感じています。

那須高原にある旬香創作料理店『アワーズダイニング』さん。

断りもなく勝手に掲載してしまうこと、お許しくださいませ。
お料理もとても美しくて美味しかったです。
♡ご馳走様でした♡

そして心から寛ぐ空間でした。
また行きますね。
ありがとうございました。

那須高原には元々開拓者たちのスピリットが現在の一大リゾート地としての繁栄をもたらした背景があります。
そしてそれを受け入れる広い受容性が備わった土壌だったから成立したとも言えるかと思います。

私は一方的に恋い焦がれて移住した都会育ちのよそ者ですが、未だ那須の新たなディテールを発見をする度益々想いが募ります。

所謂恋って、理屈抜きの自分本位な推し感ですしね・・。

まあ、それが堪らんのですわ♡


『ミルキーウェイ』が象徴するもの

最近、30年以上使用していたソファーセットを処分しました。

併せて母親が旅先で一目惚れして衝動買いしてきた、異常に重たくて部屋のテイストに全くそぐわない、おまけに冬は冷たくて触れた瞬間全身に不快感が走る大理石のテーブルも引き取って貰いました。

無垢板やアースカラー中心のインテリアの中で、視覚エリアとしても存在感のある家具のテイストが妙に異彩を放っていて、長年違和感を感じながら生活していました。

ずっと処分出来なかった理由は、母親が気に入っているものだったから。

毎日部屋にを飾っています

那須高原には地元の農家さんが農産物を直接卸す直売所が沢山あります。

完全自炊派の私にとっては本当に有り難く、毎日地元の新鮮な採れたて野菜を美味しく戴いています。

直売所には沢山の切り花も売っていて、都会では想像も付かないような安さとボリュームの豪華な花束が買えて、その時期にしか咲かない花とその香りに日々癒されています。

バラの咲く季節のなると決まって小学校に上がったばかりの下校途中に綺麗な真っ赤なバラの花を一輪摘んで帰った日のことを思い出して、ちょっとだけ切ない気分になります。

当時担任の先生から「ランドセルが歩いてる。」と言われていた位体がとても小さかった私にとって小学校までの道のりは本当に長い距離に感じました。

その長い帰り道の間中、真っ赤なバラの花が大好きだった母親がそれを受け取った時の嬉しそうな顔だけを想像して、小さな手で大事に握り締めて帰りました。

が、しかし・・。

結果は想像もしなかった真逆の反応で、
「人の家の物を勝手に取って来て、そんなものは受け取れない!!云々・・・etc…」
あまりにもショック過ぎて、その後の記憶が全くありません・・。

まだ幼くて何処からが公共のエリアで何処からが私有地なんていう、境界線の概念がそもそも認識出来ていない時期で、それ以来真っ赤なバラの花は苦手です。

今日は宇宙の大イベント、七夕

東洋でいう天の川は西洋ではミルキーウェイと呼ばれていますが、名前の由来はギリシャ神話がモチーフになっています。

ミルキーウェイ最高神ゼウスの妻である女神ヘラの母乳が(なかなか滑稽な経緯で)銀河に飛び散って拡がったものだと言われていますが、『母性』や『女性性』の寛大さ、無限性の象徴、といった概念だとも捉えられるかと思います。

私は自らの意思で母親の喜びといったことに長年こだわり続けてきたつもりでしたが、今思えばもしかしたらそれは私自身の身勝手な執着でしかなかったのかも知れません。

ミルキーウェイは母性的な大きなを象徴するもの

雲に覆われた大気圏の彼方のミルキーウェイ上では、今年も織姫彦星が一年で一度きりの再会を果たしているはずですが、どんな関係性であれ、それくらいの間合いと距離感、悪くない気がします♡



『言』の『葉』

『言葉』から得る感情は人によって違います。

ただ投げかけられたその言葉以上の想いは、誰でも何となく感じるものです。

日本の古神道の思想で〝人の心を『種』として表れ出た『葉』〟言の葉
すなわち言葉だと言われています。

大和言葉って本当に美しいですね♡

霊・数霊・音霊・色霊・型霊。

日本では古来からすべてのものに(たましい)が宿るとされています。

中でも言霊ことだま)という言葉はとても馴染みのある表現で、私も日常的によく使います。

たとえさほど気の利いた言い回しではなくても、その言葉に『愛』があればあたたかい『たましい』が宿るし、逆も然りだと確かに感じます。

言葉を媒介したそれは『エネルギー』だし、種を蒔いたその人自身がその言葉によって育てた『葉』の栄養が『実』となって出来上がったものが『人格』なのだとしたら、結果

自分が発した言葉を受け取るのは、やはり自分自身。

という事だとも思うのです。

残る数霊・音霊・色霊・型霊の中の『色』から得られる心の『言葉』と、その心が必要とする『色』での処方を目下勉強中ですが、

カラーセラピーは例えて言うならば文学の世界。

エコール・ド・メチエ -色彩必読書-より引用

という言語表現の美しさに品格を感じます。

それぞれの色が持つ神話や象徴性に対しての深い理解を得た上で、詩的表現でカウンセリングするのが優れたセラピストであるとの指針なのですが、その理念自体がもはや文学的です。

言霊と言われる心の種はある種のエネルギーだとして。

そのエネルギーが人の感情を動かしたりしながら、最も自分自身の存在の『実』を成らせる『種』なのだとして。

うん・・・。
多分、そんな気がします。


実らせたいモノって何ですか?

夢の実現とか、目標の達成とか、色々理論立ててプロットを組むことももちろん大事だと思います。

でも何より、『好きな自分』でいることが大前提なのではないかと思うのです。

久しぶりに会った瞬間、良い時間を過ごしていることが分かって嬉しくなりました。

会わなかった時間のあれやこれやを聞いて、更に納得しました。

ターニングポイントには大小の差こそあれ、何かしらの風が吹くものです。

その風が何処から吹いているのかより、何処に向かおうとしているのかをフラットに判断する術は、人間にそもそも備わった直感であったり情報処理能力であったり、肝心なことは時を察知できる『素直さ』なのではないかと思います。

もっと言ってしまうと、その『素直さ』を持った人が引き寄せた偶然の連なりの先に、見たかった景色が広がっているのだろうと感じます。

きっとそうなのだろうと。

新たに取得したカナダ式センセーション・カラーセラピーセッションのモニターをお願いしましたが、急に思い立ってカメラを持参して一緒に出掛けました。

話の相槌を打ったりシャッターを切ったり、結局同時にやっていて、私が写真を撮る姿を見るのも久しぶりだし、かつて撮っている姿を見るのも好きだったと言ってくれました。

何より私は意思を感じる女性の話を聞くことと、写真を撮ることが大好きです。
なので同時にやらせて頂きました♡

そして、自分の『今』に対して『All ok!! 』と確信できるきっかけになれば嬉しいですし、写真にはその力があると、本気で信じてもいるのです。

あー、楽しかったな♪



手放せない、永遠の課題

コンプレックスと役割には関連性があるのではないかと考えています。

ユング心理学コンプレックスは過去の体験によってもたらされると言われていますが、それとはまたカテゴリーが異なる要素を、自分自身も含めた周辺のコミュニティを見渡しながら感じています。

他人から見たら既に持っていて、むしろ充分に満ちている事柄に対して実は本人は人知れずコンプレックスを抱えているということがありますが、人一倍そこにこだわり向き合い続けること、それこそが生まれ持った役割なのではないかな・・と思ったりしています。

もしくは課題として取り組んだ努力の結果が、備わった魅力として映るのかも知れません。

那須町でヨガインストラクターをされている『L’ALLURE』のMAYUMIさん。

今回ご自身のサイトトップページに撮影させて頂いたポートレート写真を使用して下さいました。
嬉しい限りです♡
ありがとうございます。


彼女は私の友人でもあり、ヨガの先生でもあり、その精神性や心身一貫した美意識の高さには敬意を感じていて、内包した圧倒的なエネルギーをどうしても撮りたくて、こちらからお願いして写真撮影させて頂きました。

常に『美しさ』の本質を探求されていて、それは究極豊かに生きる』とはなんぞや・・という事をお互い熱く語り合える、稀有な存在でもあります。

そして時に、誰もが羨むような容姿にコンプレックスを感じていた・・なんて事を言ったりもします。

それこそがより研磨されるべき、与えられた役割なのではないかな・・と思えてならないのです。

とことん向き合って、こだわって、答えなんて無いと理解しているのにそれでも手放せない永遠の課題。

『カルマ』とさえ感じてしまうくらいのテーマ。

私は気持ちを言語化することがとても苦手です。
だからこそ写真という、画としての表現が性に合っていると感じていたのかも知れません。

言葉としてアウトプットすることに無性にプレッシャーを感じつつ、対極の感情として『伝える』『導く』ということに人一倍固執してもいます。


明日は満月です。

必要のないものは自然と手から離れ浄化されて、それでも尚残る向き合う何かがギフトだと感じることが出来れば、それはとても健やかなことなのではないかな、と思います。


雨の日に、趣向の仕分け作業を

今月の始めに東京に行った際タチアオイの花が中間くらいまで咲いていて、「あら?梅雨入ってるの?」と思った途端雨続きの毎日で、一気に気力が低下し始めました。

テレビを全く見ないので情報収集にタイムラグが生じますが、さして不便も感じず過ごしています。

梅雨の時期は古傷が痛むとか、洗濯物が乾かないとか、何かと日常生活にも不都合が生じて、雨の日は嫌いです。

低気圧が続くと『メラトニン』の分泌バランスが崩れて体内時計がうまく働かず睡眠の質が低下したり、日照不足による『セロトニン』の減少で自律神経が乱れるとか、科学的にも心身に悪影響が出ることが証明されています。

よく気圧の低い山に登るとお菓子の袋がパンパンに膨らみますが、人の体の中の水分も膨張することでむくみやだるさの原因になるのだそうです。

太陽を待ち侘びたいものです。

さて、自分のやりたい事が分からないとか、そもそも無いとかたまに聞いたりしますが、確かに不合理が重なって思考のバランスが少し乱れると、気圧の変化で体に負荷が掛かるのと一緒で気持ちにも抑圧を感じたりします。

『ピンチはチャンス』なんて言い方をしますが、岐路に迷った時そう簡単に大手を振って「よしっ!来たっ!!」とは即座に思えませんよね。

自分自身の趣向を改めて整理する手段としてアンチなテーマを列挙してみると、思考の断捨離が出来るのだそうです。

やりたい事に特化して暗中模索に陥る前に、まず自分の趣向とそぐわない事柄を整理してみると、不要な感情が自然と外に吐き出されたりします。

梅雨の時期に体内に溜まった毒素をデトックスして正常な血液循環を促すように、単純に『要らない』と感じた物から順にお片づけしていくと、埋もれていた物の中からすっかり忘れていた大切なモノが見つかったりするものです。

私は今年の年頭にこれからブラッシュアップさせたい事柄を

・去年始めたこと
・継続したいこと
・発展させたいこと

の3項目に分けてノートに書き出してみました。
そうすると単語のパーツがそれぞれ組み合わさって、頭の中で立体的な形が何となく立ち上がってきました。

趣向の仕分け作業はもっと単純な事柄で良いのだと思います。

「私は雨は嫌いですが、雨が降る前の空気の匂いは好きです。」
「心がザワつくのでテレビは見ませんが、家でも車の中でもずっと音楽を聴いています。」
「人混みが苦手です。」
「華やかで美しいものが大好きです。」
「子供達の音ハズレで声量マックスな歌声が大好きです。」etc…..

趣向の整理整頓をした時、自分自身の等身大のセルフフィギュアが立ち上がってくるのでは?

雨の日の静かな時間、ちょっとやってみて下さい。
案外、楽しいです。