わたしの想い一覧

称賛の記憶

とても素敵なお話を聞きました。

お話してくれた女性は、かつてご自身のお母さんから
「あなたはとっても素直。それがあなたの一番の魅力。」
と言って褒めて貰ったそうです。
その一言がすごく嬉しかったと、本当に満ち足りた表情で話してくれて、その幸福感の波動が聞いている私にも伝わってきて、心がじわーっと暖かくなりました。

娘にとって母親は良くも悪くも自分がその先どんな生き方をするかのロールモデルであって、母娘の関係は人格形成する上での肝のようなものだと感じています。

子供の承認欲求は9・10歳がピークで、この頃にありのままの自分で居ても認めて貰えるという絶対的な安心を得られると、人は等身大の自信を形成することが出来るのだそうです。

逆に母親自身のエゴが強く、娘の個性を見出す以前に半ば強引に自分の価値基準で縛り付けたり、自分が果たせなかった夢を娘に託して選択の自由を奪ったりすると、いつしか母親の欲求に応えることが自分の役目だと娘は思い込んでしまうといいます。

そして、本来の自分との分離感に苦しみ続けます。

人がありのままの自分を好きで居られる、自己肯定感を養う為に必要な要素は二つあると言われています。

ひとつは『自分の気持ちにウソをつかないこと』
もうひとつは『未知なものを恐れないこと』

『母の日』の起源は1910年アメリカのウェストバージニア州で始まったとされています。

ある女性が亡くなった母親を追悼する会を行なった際、母親が好きだった白いカーネーションの花を参加者全員に配り、そこからカーネーションが『母の日』の象徴となったのだそうです。

この女性の母親は生前、南北戦争で傷を負った兵士の衛生状態を改善する為の『マザーズデー・ウォーク・クラブ』という組織を立ち上げ、敵兵のケアも献身的に行なった、愛に溢れた女性です。

カーネーションの花言葉は『純粋な愛情』

母親の無償の愛を受けながら、またそのライフスタイルに対する敬意が世界的な共感を生んで定着した記念日が『母の日』の由来なのだそうです。

母親がどういう生き方をしているか、また幼い頃の自分との接し方に悩みトラウマを抱える女性たちは自分自身も含めて本当に沢山居て、いい大人になってから関係が悪化するケースも多いといいます。

先述の女性は現在ご自身も母親となって、目下子育ての真っ只中に居ますが、
「親にして貰った事を、自分も子供たちにしてあげたい。」
と目を潤ませながら話してくれました。

母親が子供の生まれ持った天分をありのままに認めてくれて、それを称賛してくれた記憶は何にも代え難いもので、その記憶が人生のどの場面においても力を与え続けてくれる原動力になるのだと思います。

そんな子供の『素敵』な要素を『強み』に育てられるお母さんたちを、『母の日』に改めて尊敬します。


遠回りの達人

桜が散って、大好きな新緑の季節がやって来ました。

那須高原はこの時期一面新緑の若葉色に染まって、桃源郷のようだといつも感じています。
新緑のトンネルの中を走り抜けてドライブしていると、なんて贅沢な場所に暮らしているのだろうと、ついつい遠回りをしてしまいます。

那須高原は関東と言っても幾分他県と比べて冬が長く、殊更に新緑の青葉が目に眩しく映ります。

ようやく春の到来です。

最近参加したカラーの勉強会の際、代表者の方が
『究極のカラーセラピーは空間である』
と仰っていましたが、まさに那須高原の持つ要素のすべてが癒しだと感じていて、私は勝手にパワースポットと呼んでいます。

実際、森の樹々は眺めているだけでも眼精疲労に効果があったり、その空間にいるだけで筋肉の緊張をほぐして血圧を安定させてくれます。
また地球温暖化の原因とされるCO2(二酸化炭素)を吸収する働きがあることは広く知られていますし、森林は雨水などの水分を体内に保水して、人間やその他の動植物にも活用出来るよう、その恩恵を与えています。

自然の営みの循環は、つくづくと寛容なのですね。

その昔、松尾芭蕉『おくのほそ道』の道中で那須に立ち寄っていて、山里の黒羽には全行程5ヶ月間の内13泊14日という最長期間滞在していたそうです。

芭蕉は生涯を旅に費やし、また人生そのものを旅と捉えていたようで、
時は始まりと終わりを繰り返し、歩み続けて止むことはない。
といったことを『おくのほそ道』の序文に記しています。

またその作風はそれまでの俳句の気持ちベースの感傷的なものから、目に映った自然の有り様を人生に例えて詠う蕉風といわれる、俳句を芸術の域にまで昇華させた言わばレジェンドでもあります。

歴史に名を残した遠回りの達人も、那須の自然の中で癒されながら創作意欲が掻き立てられたのでしょうか。

今では様々な転地療養を目的としたリトリート施設もありますが、目標や目的を持たない、ただそこに佇むことが『究極の癒し』のように感じます。

豊かな自然がお互いにエネルギーを循環させ合って共存しているように、人も、そこに意味や意義を見出そうとしない、心地良い空間を共有し合える関係で寄り添って居られたら・・などと思いを馳せてしまいます。

こういった人の感性に働きかける力もまた、那須の圧倒的な自然から得られる恩恵のひとつなのですね。

『旅は道連れ世は情け』
Come on, continue the journey!





受動性と能動性のバランス

『自分らしさ』という概念に、とても執着してしまいます。

主張とか自己顕示欲などの第三者目線ではなく、役割や貢献といった宇宙目線というか、それぞれに与えられた本質を自分自身も生きたいし、全ての女性たちにそうあって欲しいと、ずっと願っています。

それは偏った価値観の従属を強いられた環境因子からくる反発や、それによって長い時間抱き続けた自己との分離感といった、左脳で考える理屈は今となっては経験でしかない出来事なのですが、感覚的に、女の子が幸せそうにしていると、何故だかすごく安心します。

古代中国から日本に伝承された陰陽五行説では、全てのエネルギーを『陰』『陽』に分類し、お互い同じ分量でバランスを取り合っているとされています。

代表的な要素として『陰』が月で女性性、『陽』は太陽で男性性。
女性性の『陰』は受け取りの受動的な要素で、男性性の『陽』は自ら働きかける能動的な要素です。

各個人の中にも各々がバランス良く保たれていることが、心身の調整を図る上で大切だとされています。

若い頃に読んだチェーホフの『かわいい女』という小説を、人生の折々にアンチテーゼのように思い出します。

主人公のオーレンカという『かわいい女』は2度の結婚とも伴侶との死別を経験します。
1度目の結婚相手は芝居の演出家で、毎日夫と共に熱く芝居談義に興じ、夫が亡くなると生きる意味を失ったかのように悲嘆に明け暮れ、2度目の材木商の夫と再婚すると一転芝居の事など忘れ、誰彼構わず嬉々として材木の話ばかりして、夫を神のごとく賞賛して廻る。

この夫にも先立たれると夫の友人でもあった獣医師の愛人となり、獣医師仲間たちの会話にこれまで同様に加わって、「素人は黙ってろ」と窘められると足元に泣き伏しながら許しを乞い、彼との別れによって長い時間、自分を見失ってしまう。

後に獣医師に見捨てられた息子を我が子のように育て、母性が目覚めたオーレンカ自身は本当の愛を知ったと喜びに満たされる一方で、息子のサーシャはオーレンカを実は疎ましく思い軽蔑しているという、何とも揶揄的な作品です。

他者に一心に愛情を注ぐことで自身の存在価値を確保する、今風に表現するとイタい感じの女性像ですが、時代背景や文化の違いがあっても、極端にシンボライズされた女性の受動性が絶妙に描かれていて、心理描写に違和感を感じません。

同じような生態の女性たちに、折々に出会ってきました。
彼女たちはオーレンカ同様、誰からも愛される『かわいい女』の子ばかりでした。
そして一連のストーリーの最終章も酷似していて、一瞬打ちひしがれた彼女たちはまた次なるグルを見出し、嬉々とします。

私はかつて『べき論』者でした。
能動性に偏った男性的なエネルギーの放出は、自他共に重いプレッシャーを与えます。

『自分らしさ』とは、心身ともに自身の中の陰陽バランスを整えて、自分の本質と繋がることなのかなと、今は感じています。

手始めにネイルをして、マツエクをして、そんな女性らしい嗜みを覚えるまでに随分時間が掛かったな・・と思いつつ、確かに何かが解放される軽やかさを実感しています。


第五の元素

口述筆記するように撮りたいと、いつも思っています。

特に永年携わってきたブライダルの記録撮影に於いては、
こちら側の意思や被写体の意識を超えて、
ただひたすらその時空に波長を合わせてみる。
無意識にそんなスタンスを大切にしていました。

不思議な事にその感覚を維持できると一瞬先が読めると言うか、感じると言うか、合図し合った訳でもなく新郎・新婦が見つめ合うほんの一瞬も感じ取れて、それはほぼ100%の確率で察知出来ました。

ここ数年徐々に脳内の神経伝達が遅れ始めて、
いよいよ何かの分岐点に来たな・・と感じて記録撮影は卒業しようと決心しましたが、そこにある想いを撮りたいという欲求はポートレート写真に於いても尽きず、また果てが無いと感じています。

目に見える有機的な要素とは別の、固有のエネルギーに対しての関心、と言ったところでしょうか。

古代ギリシャ時代から物質の四大元素火・風・地・水で構成されていると言われていて、この世界の万物の原型とされています。

そして第五の元素と言われている非物質的なエーテル(光素)という完全元素が加わることでこの世界は創造されていると考えられたそうです。

このエーテルと言われる要素の概念は『霊体・時空・愛』と言ったもので、
『光を伝える仮想上の媒質』とされていて、これがそれぞれ固有のエネルギーに当たるものなのではないかな・・・と思ったりしています。

万学の祖』と言われたアリストテレスによれば、この四大元素の相対する二つの要素を組み合わせることであらゆる物質が相互転換できると考えられたそうですが、それらを統合させるものがエーテルで、逆に分解させる要素は争いなのだそうです。

占術でも個人の特性をこの四大元素で分析したりしますが、私がキャッチしていたであろう時空に放たれた想念は愛であり、光であり、そんな目に見えないものの中に美しさの本質があるような気がします。

そしてその固有の光を見出して具現化することがポートレート写真の醍醐味でもあって、そんなことを考えていると益々興味が増してきて、やっぱり人を撮らずにはいられないのです。


共振し合う『思いやり』

猫と犬が居ます。

猫がお兄ちゃんで犬が妹で、猫より犬の方がやや小さくて、
お兄ちゃんは妹が大好きで、
妹はお兄ちゃんを嫌いではないけれど
あまり好きではなくて、
特有の相対性で調和を保ち、一つ屋根の下で一緒に暮らして居ます。

普段はお互いあまり干渉せず、程よい距離感でそれぞれ勝手に
寛いで居ます。
どちらとも穏やかな性格で、然して感情の起伏もなくおっとり
していますが、どちらかが不安を感じた場面の時だけ、激しく
兄妹愛を発揮し合います。

妹の犬が苦手なシャンプーをされている時は、お兄ちゃんの猫が
私の足元にピッタリくっついて鳴き続けます。

その表情もご飯の催促の時とは明らかに違う、
もう、それはそれは必死な形相で、さも
「早く僕の妹を解放しなさいっ!!そんなに嫌がってるじゃないかっ!!
もうやめなさいっ!!」
とでも言わんばかりに、大っきな目を見開いて下から睨みつけながら
鳴き続け、妹が無事解放されると、何事も無かったかのように定位置に戻って
いつもの昼寝を再開します。

片や、猫のお兄ちゃんが最も嫌いな雷が鳴って、家具の裏側に籠って姿が
見えなくなると、その家具の正面側で妹の犬が心配そうにヒンヒン鳴き出します。
「お兄ちゃん・・、大丈夫?  怖いの・・?」
とでも言ってるかのような、
やさしく、何とも可愛い声でお兄ちゃんに呼び掛け続けています。

犬の嗅覚は人の10万倍〜100万倍、聴覚は4倍、猫の聴覚は更に犬の2倍
言われています。

両者とも自然災害の予知能力があったり、
人の健康状態を察知出来ると言われている理由の検証として、
この嗅覚や聴覚といった五感の発達が理論付けられていますが、
この兄妹の行動に関しては、また違った解釈が出来る気がしています。

むしろ不安を感じた双方の脳波の周波数を感知して、
それに共鳴して心配し合っているのでは・・と思ったりします。

人間もよく『あの人とは波長が合う』とか『波長を合わせる』なんて表現を
しますが、実際縁する人同士はお互い引き寄せ合って、またその逆の場合は
何だか居心地がしっくりこないものです。

因みに私たちが暮らすこの地球の音はシューマン共振(シューマノン周波数)
と言って7.83Hzらしいのですが、人が瞑想状態に至った時の脳波も
同じく7.8Hz程度になることが科学的に証明されているそうです。

誰もが癒される赤ちゃんの脳波は7.5Hzで、それに共鳴して人は安らぎを
覚えるのだとも言われています。

人間は『言葉』によって定義される生き物なのだそうですが、
人が発するたった一言が勇気になったり、
その反対に落胆になることもあり得ます。

言葉を持たない生き物が共振し合うこの『思いやり』の行動、
つくづくと、見習いたいものです。




共有している時空

心理学の三大巨匠といえばフロイト・ユング・アドラーですが、
フロイトが提唱した『無意識』の持つ力について勉強する機会がありました。

国際メンタルイノベーション協会 開催のベーシック講座の内容は、
主に顕在意識潜在意識の働きを見える化するワークショップ。

現在の科学では不可能と思われていた商品開発を具現化した、
ある企業フィロソフィーを体系化した講義内容で、
最終的には『思いは物質にも影響を与える』と言う検証実験として、
ユリゲラーのように簡単にスプーン曲げをしてきました。

人の意識は顕在意識が3%、潜在意識は残り97%と言われています。

この協会が提唱しているのは、人が認知している顕在意識は主人で、
残り97%にも及ぶ認知していない潜在意識は召使であるということ。
その実証として筋連動性などの実験を含めた講義で、
簡単に言うと、私たちの潜在意識には『夢』や『願望』を実現する
すごい力が眠っているんだよ!ということの検証に次ぐ検証の連続。

潜在意識の下には集合的無意識という領域があって、
フロイトの弟子であったユングが提唱した
概念を実証する内容も含まれていました。

この集合的無意識はアカシックレコードシンクロニシティーとも
呼ばれていて、全ての時空が共有していると言われている、
過去や未来、前世に至るまでの膨大な情報が集積された意識の集合体。
以心伝心や偶然の一致やデジャブなどが、これに当てはまる事柄かな・・
と思います。

この講義の中でもう一人の巨匠アドラーは出てきませんでしたが、
アドラー心理学の『幸福は過去から自由になれるかどうか』
と言う言葉がとても好きです。

過去の原因によって行動するのではなく、現在の目的によって行動する、
という考え方ができれば、明日したいことがもっと楽しみになってくる気がします。

講義中雑談の中で「ゴルフの時、腹式呼吸をして吐ききって息を止めてお腹に力を入れて
スイングしたら飛距離が伸びるからやってごらん!」と言われました。

先日行ったゴルフの時に検証してみようと思いましたが、
結果はトータル『178』の散々な結果。

その日は風もなく一日快晴の絶好のゴルフ日和で、ウキウキしてオシャレして、
ケラケラ笑って・・。
想像していた通りの楽しい時間でしたが、そこに至るまでの時間の中で、
ひとかけらも上手にゴルフをする自分は思い描いていなかったのは確かで、
潜在意識の忠実さをマザマザと実証した、あっぱれな結果でした。

講義を受けてから3ヶ月近く経ってふと気がついたことは、
コミュニティが一変していたこと。

何かに夢中になったり、過去ではなく、その先の未来を想像して今いる道を
進んでいる人たちと一緒に居ると、自然と笑顔になってきます。

全ては自分の意思が形作っていくという検証結果なのかな・・と感じ始めて、
なんだかすごく嬉しい気分です。






小さな恋のメロディと黄金比

永い間、ブライダルフォトグラファーをしていました。

幸せの瞬間に立ち会うのは本当に感動的で、
それぞれに違うドラマがそこには存在していて、
気が付いたら24年もの時間が経過していたことが今でも全く信じられず、
強いて言えば自分自身の体力の低下がここ数年で一気に顕著になったことくらいで・・・。
いつも「結婚式って本当に良いな・・」と思い続けて撮影していました。

特に『新婦より新郎の方が1.5倍相手を好き』と感じる光景を目にするのが、
私の密かな楽しみのひとつでした。

子供の頃に観た『小さな恋のメロディ』と言う1971年のイギリス映画が大好きで、ストーリーは同じ学校に通う少年少女の淡いラブストーリーで、
本国のイギリスとアメリカではヒットしなかったものの、日本では大ヒットしたアラン・パーカー監督の処女作。

幼さゆえの切なさとか、未熟さゆえの危うさとか、不器用だけど純粋といった
思春期特有のアンバランスな感性が充満した映画の世界観が、子供心に『恋ってステキ』っていう、ある種のプロトタイプを植えつけた映画でした。

気が弱く大人しい主人公の少年ダニエルが放課後にバレエのレッスンをする
美少女の主人公メロディを目にした途端恋心が芽生えて、そこから淡いラブストーリーが展開していくのですが、1.5倍増で新婦のことが大好きな新郎を見ると必ずこの映画を思い出して、頭の中でビージーズのサントラを流しながら勝手に胸を熱くして撮影していました。

1.5倍増と感じるのは私の勝手な主観だったのですが、最近ふと「これもしかしたら黄金比?」と思い始めました。

黄金比は最も美しいとされる対比を数値化したもので、厳密には1:1.618
古代ギリシャで発見され、パルテノン神殿やピラミッドなどの歴史的建造物などにも応用されています。

クリエイティブな仕事をされている方は、おそらく皆さん日頃から意識的に取り入れている安定的な『美』の基準で、私自身も撮影時には常に念頭に置いている要素です。

人が美しいと感じる物体の法則と、この身勝手な解釈に関連性があるかはさておき、
1.5倍増の愛情で新婦を見つめる時の新郎の目は、ダニエルがメロディを発見して時が止まったように釘付けになって、ただひたすら相手を見つめ続けていた、あのときめいた少年の目と同じ輝きをしているのは、確かだと思います。

そしてその安定した愛情に包まれている時の女性たちは本当に美しくて、
そんな瞬間を見続けられたことに、今はただひたすら感謝です。





星の言葉

去年の今頃、自分のホロスコープを見て貰う機会がありました。

ホロスコープはギリシャ語で『時の見張り人』
という意味なのだそうですが、
自分の生まれた日時の黄道12宮の星座と太陽系の諸惑星、
またその星が持つエレメントを組み合わせて、
人それぞれの資質や生まれ持った役割等を読み解く、
いわゆる西洋占星術と言われるもの。

個人的な情報は何一つ伝えなかったにもかかわらず、
今現在の状況や各年代毎の特徴など、あまりにも的中し過ぎていて、
そこから一気に夢中になってアマゾンで何冊も本を買い漁り、
占い学校のWeb講習を受け、益々興味が増して単発のセミナーにも参加したり、
自分だけでは飽き足らず、興味を持ってくれた人のホロスコープをリーディング
させてもらったり・・・。
知れば知るほどその深淵にハマり続けた1年でした。

西洋占星術は、天体(アストロ)学問(ロジー)
アストロジーと言われていて、その奥深さは一般に思われがちな
「あなたの運勢見ますね」的な価値観を遥かに超えていて、
更にそれぞれの惑星同士の角度やら、読み解きの要素が無数にあって
まさに学問。
宇宙感が半端ない感じ・・・。

単純に「なんか凄いのに出会っちゃったな・・♫」と興奮の連続でした。

アストロジーは、概念としてよく『星の言葉』と表現されています。

自分が生を受けた瞬間に位置していた星座や惑星、
またその星同士のパワーバランスで自分の要素を知るって、
なんてロマンチックなんだろうと思います。

そう想って星空を眺めてみると宇宙からメッセージを頂けるような、
と言うか、もっともっと『星の言葉』聞きたくなります。





海のデトックス 山のチャージ

最近目にした記事で知ったことですが、海と山では心理的効果が異なるようです。

都会育ちの私は物心ついた頃から東京の活気やファッションが大好きで、
年に2回夏休みと冬休みに東北の母の実家に旅行に行っても、
帰省の車窓が徐々にネオンで照らされ始めると、なんとも言えない安心感に包まれていました。

30代を迎えた途端、急激な山ブームがやってきました。
休みの日には決まって女の子の山友と連れ立って2000m級の山に登山に出かけ、帰路の山里の小さな店で次回の計画を立てるという ルーティーンを繰り返し、健康上の都合で登山ができなくなると今度はピンポイントで那須ブームがやってきて、衝動を抑えきれずにとうとう家まで建てて移住しました。

当時何かに取り憑かれたように心が那須を求めていたのが、今になってやっと合点が行くというか、冷静に分析できる気がしています。

森のフィトンチットは殺菌浄化作用があって、人の細胞を活性化させると言われています。
森林セラピーの研究も進んでいるようで、森林浴はすべてのストレスマネジメントに有効なのだそうです。

消耗したエネルギーをチャージする場所なんですね。

20代の頃には湘南に友人が住んでいたこともあり、夏になると毎週逗子海岸に出かけて、砂浜に日がな一日寝っ転がって真っ黒に日焼けしていました。
その頃はいつか鎌倉に移住して、水平線に沈むサンセットを毎日眺めながら暮らそう心に決めていたのが、一転山里の住人になるとは。

きっと若い頃には溢れても溢れてもまだ満ちてくる諸々の感情をクールダウンさせたくて、エネルギーの放電効果のある海に出かけて行ったのだと、記事を読んで納得しました。

人は不思議と自分のエネルギーコントロールに必要な要素を選択して、心と身体に取り入れているのだと思います。

必要と思うもの、心地良いと感じる状態。

自分自身の内側の欲求が、きっと自分を癒し励ましてくれます。

時にはゆっくりとリラックスしながら、心の声に耳を傾けてみましょうね。


桃の節句

最近、何故だか子供の頃のことを良く思い出します。

母親と行った夕食の買い物の帰りに買って貰ったすあまの味とか、
お天気の良い春先、
一人で縁側に座っていつまでも日向ぼっこをしていた事とか、
そのどれもが何の変哲も無い、日常の瞬間的な出来事なのに
とても懐かしく大切に思い出されます。

すべての思い出に共通しているのは、嬉しかったり、心地良かったり、
当時の自分の心が喜びを感じた出来事ばかり。
幼い心が感じた小さな幸せのかけらが、今の自分を潤してくれています。

去年、急に思い立って自分に雛人形を買ってあげました。
とても小さな、お内裏様とお雛様だけの、可愛いちりめんのお人形。

厄払いの意味があるので2月の中旬くらいまでには飾った方が良いそうで、
早速小さな箱から出してカウンターに飾ってみました。

桃の節句は女の子のお祭りとして定着していますが、
その起源は季節の節目に厄払いをする男女共通の行事だったそうです。

桃の花には『魔除け』『長寿』のパワーがあるとされているそうですが、
やさしい色合いや小さくて可愛い花の姿から、
女の子の健やかな成長と幸せを願うひな祭りにはぴったりな気がします。

うっすら微笑みながら、
二人でちょこんと並んで座っているお雛様を眺めていると、
それだけでとても癒されます。


ひな祭りは、女性が女の子に帰る日。

自分の喜びや楽しみを再確認して、暖かい春に備える日なのだと思います。